ニホン国は戦後から70年、東日本大震災からも4年の年月が経とうとしておる。
観測史上最大の40.1mの津波は宮城県を中心に甚大な被害をもたらした。
もちろん、この情報は我輩の住む「魔界」にも伝わり、閻魔様もさぞビックリしておった。
我輩は魔魔チャリで
陸前高田市から石巻市まで、征服の手を伸ばすために、走っておった。
だがしかし!ハッキリ言って手強かった。
それもその筈、陸前高田市や南三陸町は壊滅状態。町は皆無に等しい場所もあったのだ。
けれど被災地の『復興』が遅れているとも言い難いのが心境である。
世間ではよく
「被災地の復興が遅れている」
と思っておるニンゲンが多かったり、報道されたりと。
そもそも『復興』には5つの種類があると思うのだ。
・心情の「復興」→被災者の心のケア
・情景の「復興」→街並み、交通網
・経済の「復興」→観光客の呼び寄せ
・住居の「復興」→暮らし
・その後の対策→防災対策、
この5つの種類があると思うのだ。
我輩の訪れた
陸前高田市、気仙沼、石巻市、南三陸にはそれぞれ5つの遅れている復興、復興した所、復興が早すぎる部分があると思ったのである。
陸前高田市
観光地としては、『奇跡の一本松』を中心に、「醤油ソフト」を売り出しておった。観光客も訪れておりスゴく活気があったと感じたぞ。
中でも「醤油ソフト」が美味である。
ベルトコンベヤーの音とトラックの粉塵を匂いながら食べる醤油ソフトは、映画音楽のマッチ具合!
《映画+音楽》
《ベルトコンベヤー+醤油ソフト》
だがしかし!
その後の対策として町を10mほど、かさ上げする作業のため、住民が仮設住宅などに住まざるを得ない状況には何とも言えないのである。
気仙沼
気仙沼はあるポイントを境に被災とそうでない地域が分かれる地域であった。
火事と津波が起きた地域であるらしく、所々に焼けた後が痛ましく残っておった。
だがしかし!南気仙沼がほぼ無事であり、気仙沼の方は被害が大きかった。
気仙沼の教育委員長と写真を撮った時も
「是非、気仙沼の良いところをアピールしてください。」と言われたのだ。
あるポイント。というのも
たまたま、南気仙沼の方には「大島」という島があったので被害が小さかったのだと思うのだ。
南三陸町
南三陸町はとにかく何もかも失われた場所であった
大きな便がしたくなった。
だがしかし!大きな便をする場所がないほどの場所。
魔魔チャリが走ろうにも、危険な場所であった。
南三陸は
どの「復興」もできていないのではないだろうか。
通り過ぎるダンプ。2件のプレハブでできたコンビニ、献花台、観光バスも通りにくい場所であったのだ。
とにかく「観光」と「現状」を見るのがオススメであるのだ。
これが我輩の感じた被災地の様子である。